ジュビロ磐田の元日本代表MF遠藤保仁が9日、現役引退を発表した。

2006年、2010年、2014年と3度のワールドカップに出場し、日本代表キャップは歴代最多の152試合を数える遠藤。43歳の司令塔の引退は一つの時代の終わりを物語るものだろう。

偉大なフットボーラーの引退の報を受け、日本サッカー協会(JFA)は遠藤の元チームメイトで次期会長の宮本恒靖専務理事と田嶋幸三現会長のコメントを伝えている。

日本サッカー協会 宮本恒靖専務理事

「遠藤保仁選手と初めてプレーしたのは、2000年のシドニーオリンピックを目指すU-22日本代表に選ばれたときで、彼は19歳でした。その2年後に彼がガンバ大阪に移籍してきて、再び一緒にプレーすることになりました。僕がセンターバック、彼はボランチという関係性で、いつも安心してボールを預けることができました。きれいなミドルシュートからのゴールも見てきました。セットプレーの際に放たれる彼のキックは誰よりも易しく合わせやすく、そのボールの軌道は今も目に焼き付いています。

どんな監督にも合わせられるクレバーな選手で、何がベストかを常に考え、監督が求めることを実行できる選手でした。戦術眼の高さもさることながら、けがをしない身体の強さとコンディショニングに対する高い意識が、J1リーグ通算672試合、国際Aマッチ通算152試合出場という歴代最多出場を達成した要因だと思います。

監督、選手として一緒に活動できたこともいい思い出です。たくさん、助けてもらいました。指導者としての彼の活躍を楽しみにしています。」

日本サッカー協会 田嶋幸三会長

「25年間にわたるJリーグでのプレー、お疲れさまでした。そして、長年にわたり、日本代表チームをけん引してくれたことにあらためて敬意と感謝を表します。

遠藤選手のプレーを初めて見たのは、彼が鹿児島実業高校在学中のとき。当時は4歳上の次兄・彰弘選手が注目されていたときで、“その弟”というくらいの印象でした。

1998年以降、U-20日本代表、U-23日本代表に選ばれるなど目覚ましい成長をみせていたが、彼が日本代表として頭角を現したのは2001年にガンバ大阪に移籍してからだと思います。冷静な判断と高い技術を有し、代表に選ばれて当然という成長ぶりで、選ばれたときは本当にうれしかった。2008年に病気で1カ月以上の離脱を余儀なくされたときは、心配で何度も大阪に足を運びました。

現在は、JFA公認指導者ライセンスを受講していると聞いています。これからもその経験と実績を日本サッカーの発展に生かしてほしい。応援しています。」

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2018年から2021年にかけてガンバ大阪で監督・選手の間柄でもあった宮本氏と遠藤。引退した遠藤は今季からその古巣のトップチームコーチに就任する。

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