――当時の関東大学リーグですが、同学年に筑波大の三笘薫選手がいました。大学リーグにおける三笘選手の存在は当時どんな感じでしたか?
薫に関しては、筑波で下級生の頃からずっと試合に出ていたので、フロンターレ加入が決まっていて、ドリブルなどが結構手に負えない選手だったなというイメージがあります。
※当時関東1部を席巻していた三笘。まだ線が細くプレーの波も大きかったが、五輪代表の森保一監督はその才能を高く評価し代表に呼び続けていた。
――明治大として当時、三笘選手への対策はかなりやっていました?
本当に個人としての能力が凄いですし、そもそも筑波が強かったので、チームとして対筑波というところでしかやっていなかったと思います。結構前の記憶なので曖昧ですけど(笑)。
――当時の彼を思い返しつつ、現在のプレミアリーグや日本代表で活躍する三笘選手を見て感じるところは?
もう本当に一言、すごいなと思います。
フロンターレに僕が来て、彼がフロンターレに帰ってきたシーズンオフの時とかに会って話をしたりしますけど、もともと彼が持っている意識の高さはもちろんそうですし、ベルギーにいた時の話であったり、今のブライトンの話とかも聞いたりすると、刺激は受けますよね。
今の彼を凄いなと思うと同時に、やっぱり同学年なので自分もそういうところまで上り詰めたいという気持ちもあります。遅かれ早かれ、同じところに行けたらいいなと思っています。
就活を経て、大学サッカーからプロの舞台へ
――瀬古選手にとって大学サッカーで感じたことや掴んだものは?
サッカーのプレーもそうですけど、とくに僕は明治の環境にすごく感謝しています。いち社会人としての準備の部分が4年間で出来上がったなというのがあって。
目上の方との接し方もそうですし、自分を律することのできた4年間でした。サッカーもそうですし、私生活というか一人の人間としてというところもそうです。そういう4年間だったと思います。