――羽生さんは1979年生まれのいわゆる「黄金世代」です。筑波大の同期にも日本が準優勝した1999年U-20ワールドユースのメンバー、石川竜也さんがいました。彼らとの“距離感”みたいなものは当時いかがでした?

もはや雲の上の存在だと思っていました。あのワールドユースも、海外でやっているような大きな大会を、僕は筑波大のまあまあ汚い学食で、めちゃくちゃ安いカレーライスを食べながら見ている―。そういう状況でしたから。

こういう選手たちがプロになるのかと比べていた面もありますし、僕なんかより全然やっぱり上手いもんなと思いながら、なりたいけどプロになるというのは簡単じゃないんだろうなぁくらいの感じでいましたね。

――伊東純也選手や三笘薫選手の活躍で、大学サッカーがいま改めて注目されています。羽生さんが在学していた当時との違いや変化という意味で感じるところはありますか?

まずは、日本の子どもたちのサッカーの技術がすごく上がっていると思います。

大学になるとそういった分野の研究しているような先生や大学院生、コーチになっているような人たちが、理論的なものや科学的なもの、それらを証明できるようなトレーニングなどをやっていますし、そこに対する意識も上がっていると思います。高校や大学…高校くらいからもおそらく色々な意味で意識が変わっているかなと。

今までのJリーグの選手たちをある意味反面教師にする部分も多分あって、その辺りの要点を捉えた指導みたいなのが増えてきているんじゃないかなと思いますね。

極端に言うと真面目な選手が増えたというか、みんながそういう高い意識の中で学生のうちからやっているような気がします。

――羽生さん自身が大学サッカーで特に成長した部分は?

大学選抜やユニバーシアード(※日本が3大会ぶり2度目の優勝を飾った2001年北京大会。チームメイトに坪井慶介や巻誠一郎などがいた)を経験して、海外の選手でやった時に大学選抜の監督からも、ボディコンタクトは嫌がらないけど「余分なボディコンタクトは避けよう」みたいなことを言ってくれたこととかは大きかったです。

僕で言うと、日本でやるにしても相手はすごく体格のいい人に当たるので、そういう言い方をしてくれたことはすごく印象に残っていますし、それをまさに確信に変えてくれたのがオシムさんみたいな感じでしたね。