――そのオシムさんが2006年7月、日本代表監督に就任され、羽生さんも代表入りを果たしました。日本代表で一番印象に残っている出来事は?

PKを外したくらいですかね(笑)。印象的だったと言うとそれしかないですね。あれがサッカー人生のどん底という感じでした、僕の中では(※2007年アジアカップの3位決定戦、韓国とのPK戦)

僕は代表になって本当に「嬉しい」という感覚ではなくて、「オシムさんの顔に泥を塗らないようにしなければ」というストレスとかプレッシャーのほうが強かったです。

楽しみだなとか、この練習やったなとかって、あまり覚えてないですね。もう必死すぎて。

その中で、国を背負い、PKを外して。今でいう炎上みたいになったのは、まあしんどかったですけど、その時代にSNSがなくてよかったなと思います(笑)。

――逆に、今のサッカーを見た時に、オシムさんがやっていたサッカーが先進的だったというか「こういうことを見据えていたのかな」と感じるところはあります?

今はゴールキックを味方選手がエリア内に入って受けてもいいじゃないですか。それで、相手が前から来るのであればめちゃくちゃ広げて、空いている選手たちにボールを渡していく。

オシムさんは当時からああいう感じを…その頃はペナルティエリア内に入れなかったので、外にいてもセンターバックを開かせて「そこに速く渡せ」とか言っていたんですよ。その感じは「あの人どこまで見ていたのかな」というのはあります。

ようは、相手が来るんだったら自分たちがもう広げて、一番嫌なところにボールを入れればいいだろうと。そういうのは「何を見ていたんだろう」と思いますかね。