前編では、元U-20日本代表MF邦本宜裕(くにもと・たかひろ、中国2部遼寧(りょうねい)鉄人)の浦和レッズ(アカデミー)やJ1アビスパ福岡での経験、『プレッシャーをたのしむ』というマインドを手に入れた韓国時代について話を伺った。
後編では、思うように結果を出せなかったポルトガル、マレーシアでの日々、そして中国で再び輝きを放つ要因を探る。
そして天才レフティが描くこれからのサッカー人生とは。
(取材・文・構成 縄手猟)
日本代表ウィングとのポジション争い「相馬くんが出て当然」
2022年7月13日に全北現代(チョンブクヒョンデ)を双方合意の上契約解除した邦本は、同月27日にポルトガル1部カーザ・ピアへ移籍した。
同クラブでは、入団当初こそ主力選手として活躍したが、シーズン途中にJ1名古屋グランパスから期限付き移籍で、元日本代表FW相馬勇紀(現J1町田ゼルビア)が加入すると、ウィングのポジション争いに敗れる形で徐々に出場機会を失っていった。
念願の欧州移籍を果たした率直な想いと、相馬とのポジション争いについて同選手に話を聞いた。
ーー全北退団後、ポルトガルのカーザ・ピアへ移籍しました。ご自身初の欧州移籍が決まったときの率直な気持ちを教えてください。
「率直にうれしかったです。ヨーロッパでいつかプレーしたいと思っていました。ただ生活環境がまったく違うところに行くので、(最初は)不安しかなかったです。プレッシャーじゃないですけど、ポルトガルでも一応外国人として獲られているわけじゃないですか。でもいざ行ってみると、またそういう(プレッシャーを楽しむ)メンタルになりました。一時期(公式戦に)出られない時期があったので、そこは少しキツかったです。1年間しかプレーしていませんが、その経験はいま、いろいろな意味で生きていると思います」
ーーカーザ・ピアでは、相馬選手とチームメイトでした。実際にポジション争いをして、当時日本代表にも選ばれていた相馬選手から刺激などは受けましたか。
「これを言ったら(誤解されて)また炎上してしまうかもしれないです(苦笑)。カーザ・ピアのとき、僕は右ウィングをやっていました。自分は相馬くんみたいにスピードがあるほうじゃない。どちらかというとボールを持ってゲームをコントロールして、自分もゴールを狙っていくタイプ。まったく違う仕事をやっていたので、そこは僕のポジションじゃないなと。その当時、相馬くんが(試合に)出ることが多かったけど、『それは当たり前だろうな』と思っていました。なのでうらやましさという感覚じゃなくて、『相馬くんが出て当然だろう』という落ち着いた感情で、全然焦りはなかったです」
ーーどちらかと言うと、『ほかのポジションで出たい』という気持ちの方が強かったですか。
「そうですね。いつか僕がボランチで、相馬くんがサイドで試合に出たかったと思いましたが、実現できませんでした。それは単なる自分の実力不足なので、気にしていませんでした」
カーザ・ピアで1シーズンを過ごした後、邦本はマレーシアへ飛ぶ。念願の欧州移籍から1年でアジアへ戻った経緯とは。