秋田移籍は『夢』を優先したから

2023年12月にJ3得点王となった小松は秋田に完全移籍した。

所属するディヴィジョンは秋田が上だが、クラブの財政規模では松本が秋田を上回る。

環境面などは松本が上だったにもかかわらず、J2中小規模クラブの秋田をなぜ選んだのか、小松に尋ねた。

ボールを追いかける小松(左から二人目、白)

――23年シーズンに得点王になって、その翌年に秋田に移籍しました。オファーは引く手あまただったと思いますけど。

「ぜんぜんです。僕もすごく期待を抱いてオファーを待っていましたけど、正直ぜんぜんなくて。最終的に、秋田ともう一つのクラブと松本山雅に残るという三つしか選択肢がなかった。僕自身は、当時はさらに上に行けるようなチームに行こう、J1からオファーが来ないかなとか思っていました。

当時夏まで得点王を争っていた福田翔生選手(現デンマーク1部ブレンビー)が夏に湘南へ行ったので、そういうステップアップを見ていると自分も二つステップを上げられたらいいなと思っていました。ただ現実はそんなオファーはありませんでした。秋田は、一番最初に声をかけていただいて、シーズンが終わる前から声をかけていただいていた。もちろん松本山雅に残る選択もできたと思います。山雅とブラウブリッツだと、金銭面、環境面も松本山雅のほうが良かった。練習場はいまでこそ、これだけ立派なクラブハウスができましたけど、僕が去年来たときはクラブハウスもないし、シャワーも練習が終わったら浴びられない状態で、冷たいシャワーを浴びていた。

松本はその辺がしっかりしているというところと、1年間僕自身も得点王を取って信頼を得ていた。いまだから言えますけど、年俸も秋田より松本山雅のほうが高かった。ただ僕が一番大事にしていることは、より上の舞台でプレーするということ。何より夢があるので、そのためには僕も年齢が年齢なので、もう1年上に行けるチャンスがあるのに同じカテゴリーでやることはできなかった。

ただ得点王を取ったときの夏にお話はいただいていましたけど、このシーズンは松本山雅でやろうと決めていたので、そこも含めて焦りを感じていた。松本山雅に残るという選択は一番最初になくして2チームのどちらかでやろうという決断でした。でもほぼ決まっていて、秋田でやろうと決めました。ただそのときはいろいろな人に相談すると、秋田に行くことは一番反対意見が多かったと思います(苦笑)」

――J3得点王の秋田移籍は当時驚きとともに報道されました。

「多くの人に僕も言われたし、当時は秋田で点を取るのは難しいと言われていた。『あそこに行ったらもう点を取れないぞ』とめちゃくちゃ言われた。ただ僕の中ではそんなことなくて、このチームでいっぱい点を取れるイメージは湧いていた。それくらいできると自分に自信もありました。めっちゃ迷いましたけど、そこに後悔はなかったですね」

――移籍前に秋田を訪れた経験はありましたか。

「ないですね。東北自体が初めてでした」

――移籍前に抱いていた秋田のイメージを教えてください。

「どんな感じでしたかね。まず長野から車で秋田に行くんですけど、だいたいのところは高速(道路)一本で行けるじゃないですか。ここまで来るのに高速を2回くらい下りなきゃいけないんですよ。新潟から山形に入る、山形から秋田に入るので山道を通るんですよ。それで『もはや別の国なのかな』くらいの感覚(苦笑)。不安まではいかないですけど、想像できなかったですね。どういうところなのか」

今季リーグ戦10得点でチームをけん引する小松(左、ブラウブリッツ秋田提供)

――実際に住み始めてからはいかがでしたか。

「快適ですし、人も内気な性格といったらですけど、恥ずかしがり屋というか。松本に比べたら、僕に気が付いているのに声をかけてないんだとか。松本のファン・サポーターは『あ、蓮くん!』と声をかけられてすごいんですよ。

それに比べたらみんな『あっ』みたいな感じになるけど、声をかけてこないところが県民性なのかなと。ただすごくみんないい人です。街もそんなに松本と変わらない。僕は田舎にしか行ったことがない。僕の地元は諏訪なんですけど、秋田よりぜんぜん田舎なので何も不便はなかったです」

――秋田のサポーターはいかがですか。

「温かいと思います。松本山雅は人数も多いので、その分アンチじゃないですけど、得点を取ったシーズンですらチームが勝てないと、1試合でも点を取れないと『お前のせいだ』というDMがしょっちゅう来ていた。秋田に来てからは一切ないので(笑)。たぶんみんな優しいと思います」

――松本山雅はJ1にいたチームですしね。

「そうなんですよ。ファンが多くなればなるほど、アンチの量は増える。そういう意味では秋田はまだまだサポーターを増やしていく余地があると思うし、増えていかなきゃいけないなと思っています」

――泣くほど苦しかったと、秋田の公式YOUTUBEで明かしていましたけど、秋田では適応に苦しみましたか。

「そうですね、苦しかったですね。(昨季は)僕のフィジカルコンディションも含めて、秋田のサッカーをやれる状態ではなかった。すごくうまくいかないシーズンというか、夏くらいまで苦しかった。松本山雅で得点を取ったシーズンと今シーズンとでいえば、去年の夏くらいまでは『俺が出ていないほうがチームが勝てるんじゃないかな』と思うときもあるくらい点を取れる自信がなかった。『このチームじゃ点は取れない』と思ってしまった時期もありましたね」

――吉田謙さんの下でどの部分が具体的に成長しましたか。

「中盤エリアでボールを引き出したときに前を向くプレーや、運ぶプレー、あとはジャンプの高さ、最高到達点までいくスピードは上がったと思います。あとは自分でシュートまで行く意識は謙さんの下でやれたからこそ成長したと思います」

秋田を指揮する吉田謙監督

――吉田謙さんは人として、指導者としてどのような存在ですか。

「謙さんは個人の成長を何よりも考えているとすごく感じています。むしろチャレンジしないほうが厳しく言われるというか。だからこそこの1年半で苦手な、ウィークな部分をチャレンジできました。そこはすごくありがたかったです」