・引き際で見せた「鹿島愛」の強さ
安定感のあるプレーと誠実な人柄、甘いマスクで幅広く愛された中田。彼が鹿島で獲得した主要タイトル(リーグ戦、天皇杯、ナビスコ杯)の数は11回だ。サポーターにとって、中田は常勝鹿島の象徴的存在なのである。
確かに、今シーズンの出場数は激減した。だが、35歳を迎えた今もまだまだ現役でやれるだけの力があり、実際にJ2のクラブからオファーを受け取っていたと聞く。なぜ中田は他クラブでの現役続行という道を選ばなかったのだろうか。
実は、マルセイユ移籍の際に鹿島と揉めた過去が彼にはあった。それだけに、他のクラブからのオファーを断り、鹿島で引退することで「鹿島愛」の強さを示したかったのではないか。事実、サガン鳥栖との最終戦の後に行われた記者会見では、
『(アントラーズは)僕のすべてだったと思います。まあ、途中、海外移籍しましたけど、その海外移籍ができたというのも、鹿島での自分があったからだと思いますし、あれだけ日本代表でできたというのも、鹿島に加入して、すばらしい、すごい選手と一緒にプレーできたということが今の自分を作ってくれたと思います。鹿島というチームには感謝していますし、自分のすべてだと思います』 (クラブ公式HPより引用)
とコメントし、鹿島を『僕のすべてだった』と表現した。誰よりも深い鹿島愛を持つ中田だからこそ、深紅のユニフォーム以外を身にまとう姿が想像できなかったのだろう。
・今後については・・・
なお、記者会見では今後の動向について、
『セレーゾ監督からは現場でもという話は頂いたのですが、まず自分のなかで整理をつけなくてはいけないと思いますし、同期があと3人いるなかで指導者としてやるというのは、なかなか難しいと思いますので、これからチームと話してどういう方向性になるかはわかりませんが、まあいろいろ狭いなかでやってきたというのもあるので、視野を広げて、いろいろなことに関わって、自分の道というのを見つけていければいいなと思っています』(HPより引用)
と具体的なプランを明かすことはしなかった。一部ではクラブのスタッフとしてセカンドキャリアを歩むと報道されているが、将来的には指導者の道に進む可能性も大いにあるだろう。いずれにせよ、誰からも愛される誠実な人柄を持つ中田であれば、どのような仕事でも成功を収めるに違いない。
現チームの「79年組」の中で一番先に引退するという決断はとても辛かったはずだ。「まだまだやれる」という葛藤も当然あったと思う。だが、愛するクラブのことを第一に考え、大きな決断を下した中田。数々の感動を与えてくれた背番号6に心の底から「お疲れ様でした」と言いたい。
2014/12/07 written by ロッシ
筆者名:ロッシ
プロフィール:1992年茨城県生まれ。1998年フランスW杯がきっかけでサッカーの虜となり、現在に至る。ご意見・ご感想などありましたら、下記のツイッターアカウントまでお寄せください!
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