「私も同じ」ユニフォームを
この日の記者発表では、ソーシャル協会(JSFA)以外の各団体から日本代表選手が登場し、それぞれの感想を述べました。脳性麻痺や知的障害のある選手も自分の思いをつむぎ、競技普及への希望を語りました。
その中で最も雄弁だったのは、アンプティサッカーのエンヒッキ松茂良(まつもら)ジアスでした。サンパウロ出身で日系3世の彼は『障がい者サッカー HAND BOOK』でも「日本国内での普及のきっかけ」と紹介されるほどの選手で、2010年から3大会連続で日本代表としてW杯に出場していますが、「今でも僕はブラジル人なのですが」と切り出した上で、2007年、18歳の時にブラジル代表としてトルコでのW杯に出た経験を話しました(FIFAほどの厳しい国籍変更制限はないようです)。
「片足でも、ここにいる記者の皆さんの半分よりは上手くプレーできます」と自信を見せる彼は、「ブラジル代表ではセレソンと同じユニフォームを着る事ができて、気持ちがものすごく変わった、日本でもぜひ代表と同じユニフォームを着させて欲しい」と訴えました。
確かにウェブ記事の中では、フル代表の「SAMURAI BLUE」とは違ったユニフォームの日本代表と、懐かしいナイキの「丸数字」デザインのブラジル代表の写真が見られます。
ウェッジ・インフィニティ 大元よしき:
「交通事故で右足切断 アンプティサッカー・ブラジル代表に 日本で実現したい「夢」
アンプティサッカー エンヒッキ・松茂良・ジアスさん(ブラジル銀行)」
(2013年7月30日付)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/3023
この言葉は田嶋の胸を強く打ったようです。会見後、記者に囲まれた中で出たのが、いくつかの新聞記事にも出ている「いろいろな問題はあるが、それを話し合いでクリアして早く進めたい」という言葉でした。実際には、「いろいろと(グラスルーツ部を通じて)聞いていたけど、やっぱり選手本人の口から直接聞いちゃうとね、何とかしないといけないよね」という感激を浮かべながら。
そう、これも大変な作業です。そもそも現時点では、JFAのオフィシャルスポンサーであるアディダスと契約しているのは、私が確認した限りでは7団体の中で脳性麻痺協会(JCPFA)とブラインド協会(JBFA)だけ。組織によっては他のブランドとスポンサー契約をしている所もあり、「確かにそう簡単にはいかない」のが分かります。
それでも、「日本代表」として戦うならばあのユニフォームを着たいという言葉は、アディダスの別デザインユニでパラリンピック予選を戦ったブラインドサッカー代表の川村怜からも聞かれました。その熱意が実る事を、私も願っています。