ディウメルシ・エンボカニ

「それから僕は家族とともにブリュッセルに残った。精神的なダメージから回復するために2~3日を与えて欲しいとチームに求めた。コンゴ人の一部は、僕をキンシャサへと旅立たせようとしていた。

僕は常に連盟との問題を抱えている。それは、僕が代表チームでのプレーを止めることに決めた理由だ。

コンゴ民主共和国の代表選手にはなりたくない。これらの処遇が不当であることは分かっている。したがって、家族や親類との議論の後、僕は辞めることを決めた」

「(テロ事件の時は?)

我々家族はあのビルの外側、歩道の上にいたんだ。タクシー乗り場の近くだった。爆発からは数フィートしかなかった。

妻はバスの近くにいた。1分早くそこに入っていたら、我々は死んでいただろう。

我々の命を救ったのは妻だった。僕はもう少し早くターミナルビルに入りたかったのだが、妻が『ちょっと従姉妹を待ちましょうよ』と言ったんだ。

従姉妹は同じ飛行機だったからね。あと1~2分で来ると言っていた。これは奇跡的なことだった。

攻撃が起こったとき、僕は座っていた。そして妻の元に走り、シェラトンホテルへ、そして駐車場へと逃げていった。空港には7つのスーツケースを置いたままだ」

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