イアン・ラッシュ

リヴァプールの伝説的なストライカーも、監督としてのキャリアで成功を収められなかった人物だ。

2000年にシドニー・オリンピックでプレーした後現役を離れ、2003年にジェラール・ウリエ監督時代のリヴァプールでパートタイムのコーチを務めた。

そして2004年に4部のチェスター・シティで監督を務めることになった。ただ、当初から昔の同僚も彼の戦術的なコーチング能力に疑問を持っていたとのことで、結局評価を高められずに終わっている。

その後はアナリストやコメンテーター、リヴァプールの大使などを務めている。2014年には大きな話題になったインディアン・スーパーリーグで公式の解説者だった。

スタンリー・マシューズ

飛んでいるようなドリブルで知られるマシューズ。そのプレーはまさに魔法のようなもので、未だに「マシューズ・フェイント」として名が残っている。

現役を離れた後は、所属していたストークのライバルでもあるポート・ヴェイルのGMに就任。2年後には監督となったが、クラブは成功を収められず、財政難や給与未払いにも悩んだ。

選手だったロイ・スプロソンはこう語っているという。『マシューズは信用してはいけない人々を信用した。多くの人々が彼にたかっていたと思う。そしてずっとクラブは横滑りしていた』

現役時代に一つもイエローカードを受けなかったというマシューズ。ジェントルマンはサッカー界の暗い部分の犠牲者となり、その後は私財を投じてアフリカの子どもたちをサッカーで支援した。

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