1995年大会:カイオ(ブラジル)

当時所属:サンパウロ

現所属:引退

サンパウロの下部組織で育成されたストライカー。決勝トーナメント1回戦でブラジルは日本と戦っているが、その際には2ゴールを決めている。

評価を高めた彼は大会後、当時10代の選手としては最高額となる660万ポンドでインテルナシオナウへと移籍するのだが…結局あまり開花しなかった。

サントスやフラメンゴ、フルミネンセ、グレミオなど多くの名門を渡り歩いたが実績は残せず、ボタフォゴでプレーしたのを最後に30歳で引退。その後はスポーツキャスターとして活動中だ。

1993年大会:アドリアーノ(ブラジル)

当時所属:ニューシャテル・ザマックス(スイス)

現所属:引退

Jリーグでもプレーしたことがある選手なのだが、覚えているだろうか?2001年に浦和レッズに所属し、6ゴールを決めたアドリアーノである。

彼は1991年のU-17世界選手権でも得点王となっており、その2年後のワールドユースでもトップスコアラー+MVPの二冠を獲得したというすさまじい実績を持つ。

しかし、彼も決してプロ選手として才能が開花したとは言えなかった。国内の様々なクラブやポーランド、コロンビアを転々として2009年に引退している。

【厳選Qoly】なぜ?日本代表、2024年に一度も呼ばれなかった5名

ラッシュフォードの私服がやばい