ルイス・フィーゴ
移籍:バルセロナ→レアル・マドリー
移籍金:3700万ポンド(現在のレートでおよそ56.94億円)
世界を揺るがしたライバル同士の取引。最も大きな騒動になってしまったのがルイス・フィーゴである。
「金の亡者」論争、裏切り者という罵り、そして豚の頭。誰もがその話を知っている。
しかし、結局何が起こったのかと言えば、レアル・マドリーの「ギャラクティコ」時代の始まりであった。
フィーゴは2000年にバロンドールを獲得し、リーガのトロフィーも持ち上げた。チームにはジネディーヌ・ジダンも加わり、世界の歴史の中でも最も華々しいチームが生まれた。
対照的に、バルセロナは2005年までリーグタイトルから離れることに。
アシュリー・コール
移籍:アーセナル→チェルシー
移籍金:500万ポンド(現在のレートでおよそ7.69億円)+ウィリアム・ギャラス
2006年9月1日の午前中、アーセナルとチェルシーはアシュリー・コールをトレードする契約に合意した。そして、ウィリアム・ギャラスが譲渡された。プレミアリーグの歴史上最も論争を引き起こした取引が完了した時だった。
締め切り日の慌ただしい接触がドラマティックな終わりを迎えたわけだが、さらにその後アシュリー・コールが自伝を発表したことで問題は広がった。アーセナルの提示は週5万5000ポンドだった。
二つのクラブが道を違えた瞬間だった。チェルシーはアブラモヴィッチの資金により現実の力を高めていた。一方で、アーセナルは過去の存在になった。
プレミアリーグで最も優れたレフトバックになったアシュリー・コールは、チェルシーとともに勝利を達成。誰も止められない存在になった。
アーセナルにとっては、この取引は「先例」になった。アンリ、ナスリ、セスク、ファン・ペルシー。彼らは常に移籍先でトロフィーを掲げた。
ロベルト・バッジョ
移籍:ユヴェントス→ミラン
移籍金:600万ポンド(現在のレートでおよそ9.23億円)
1995年にスクデットを獲得したユヴェントス。それは、5シーズンプレーしたロベルト・バッジョにとっての頂点だった。
28歳の彼はトリノで最高の時を過ごしたが、彼の後ろには若きアレッサンドロ・デル・ピエロがいた。
彼を直接ライバルに売ることは、ユヴェントスにとっては理想的ではなかったはずだ。ファンはこの決定に抗議した。
ミランに移籍した29歳のバッジョは、もう若い頃ほどの輝きはなかったが、スクデットを助けるゴールを決めた。
少なくとも、ユヴェントスは彼をミランに放出したことを後悔したはずだ。少なくとも、デル・ピエロがチャンピオンズリーグ優勝に導いてくれるまでは。