カタールワールドカップでは惜しくも連覇を逃したものの、決勝でアルゼンチンと死闘を演じ、改めて強さを示したフランス。
大会前から怪我人が続出。大会中にもDFリュカ・エルナンデスが初戦のオーストラリア戦でひざを負傷し、弟のテオ・エルナンデスが同じ左サイドバックのポジションを引き継ぐというドラマがあった。
リュカはその後、「右ひざ前十字靭帯断裂」と診断されている。
ひざの前十字靭帯断裂はスポーツ選手に少なくない怪我の一つ。長期の離脱を強いられるが、そんな大怪我を、左右それぞれの足に負ってしまった選手の一人が、現在レノファ山口FCに所属する山瀬功治だ。
今年、プロデビューから23年連続となるゴールを記録した41歳の元日本代表MFは、怪我をした時どんなことを考えていたのか。Qolyが先日行った単独インタビューの中で聞いた。
(取材日:2022年11月1日)
――(前略)山瀬選手は、2002年に右ひざ、2004年に左ひざの前十字靭帯を断裂されて、しかしそれを乗り越えて日本代表まで行った選手でもあります。特に2度目にひざをやってしまった時はどんな感じでしたか?
僕はですね、左ひざをやった時は…右ひざを怪我した時もそうなんですけど、あんまり落ち込まなかったです。あんまりというか、ほぼ落ち込まなかったですね。
というのは、当時も前十字靭帯断裂は大怪我ではありましたが、治らない怪我ではありませんでした。医学的にしっかりと立証されていて、なおかつ治るまでのプロセスがきちんと確立されていました。実際に完治されている方がもう何人もいると。
そういう怪我だったので、時間がかかるのでそこに関してだけはしばらくプレーできないのは残念だなという思いはありましたけど、「もしかしたら元に戻れない」「復帰できないかもしれない」という不安は何もなかったです。若すぎたからというのがあったかもしれないですけどね。
そこまで難しく考えず、「仕方ないから治して良い形で復帰できるように頑張ろう」ということしか考えていませんでした。