ベトナムで迎えた「コロナパンデミック」
Jリーグで3シーズンプレーした禹は、ベトナムのサイゴンFCから好待遇のオファーを受けた。同時期に元日本代表MF松井大輔や松本山雅FCなどで活躍したFW高崎寛之が同チームへ入団。レジェンド選手らと共闘するも、思いもよらない苦難が待ち受けていた。
―栃木退団後は再び海外へと渡りました。ベトナム1部サイゴンFCに決めた理由は。
ベトナムから好条件のオファーが来て、海外志向というのもあってこれは面白いなと。松本のジャイアン(高崎寛之)も行くと聞いていたので、頼もしい兄貴も来てくれるからサイゴンFCに移籍すると返事しました。
―ベトナムに渡った直後はどうでしたか。
雰囲気も街並みも素晴らしかったし、当時はロックダウンもありませんでした。町もにぎやかだったので、サッカーの方もやりがいがありました。(移籍直後は)今までで1、2位を争うぐらいに楽しかったですね。
―そのあとは新型コロナウイルスの世界的なパンデミックが発生しました。
パンデミックによってリーグが中断になって、半年間幽閉されました(苦笑)。(サッカーの)トレーニングができる状況ではなかったし、リーグもどうなるか。外出禁止というのもあって、次につながると信じてマンションの上でトレーニングしていました。本当に心が折れそうというか、暗闇の中でしたね。長いトンネルに入ってしまったというか…。
―ロックダウン中は松井大輔選手や高崎寛之さんと切磋琢磨したとか。
そうですね。住んでいたマンションが14階建てだったので、階段を使って下から上まで駆け上がるトレーニングをしましたね。あと、ゴルフのパター選手権をやったりしました。ヒロ(高崎寛之)さんが一番上手かったです(笑)。
―2021年8月24日にリーグが正式に中止となり、チームとも契約解除に至ったと。
プロとして当然なんですけど、常に準備しないといけないと思いながらやっていました。改めて次の準備の大切さを痛感しました。
サイゴンFC契約解除後、禹は古巣のユースチームに練習参加してトライアウトに備えた。無所属のまま受けたトライアウトでゴールという結果を挙げるも、心身ともにギリギリだったという。そしてJリーグ参入を目指す野心を持ったチームから救いの手が差し伸べられた。
―ベトナムから帰国後、トライアウトの間はどう過ごしていましたか。
トライアウト開催までは愛媛FCのユースで3カ月ほどトレーニングをさせていただきました。プロを目指している子供たちと一緒にトレーニングして、プロサッカー選手を目指す気持ちを思い出せました。まだまだ、頑張らなければいけないと思わされました。プロの舞台に戻ってプロを目指す子たちを勇気づけられる存在になりたいと思いましたね。(彼らから)パワーをもらえましたし、愛媛さんには感謝しています。
―そしてJPFAトライアウトに臨みました。
純粋にJリーグでやってきた人たちとプレーできて楽しかったですし、すごくポジティブなことだと捉えていました。1ゴールを決めて「よっしゃー」ってなりましたけど、現実は甘くなくて厳しさも痛感しました。
―このトライアウトでFC大阪入団につながるわけですね。
まず練習参加の打診がFC大阪からありました。チームは明るく、元気で和気あいあいとしていました。いい雰囲気の中で練習をやれましたし、オファーをいただけた際は感謝しかなかったです。チームはJ1まで行きたいと上を目指していましたし、僕もどん底から這い上がろうとしていましたから向いている矢印は同じでした。一緒に上を目指しているので、チームに貢献したいです。