シニシャ・ミハイロヴィッチ
DFで11番と言えば、やはり真っ先に思い出されるのはこの選手だろう。
現役時代、フリーキックのみでハットトリックを達成するなど、サッカー史上に残るプレースキックの名手だった。
引退後も冨安健洋のボローニャで監督を務めるなど指導者として活躍していたが、2019年に白血病であることを公表。闘病しつつ現場に立ち続けたが、2022年12月16日に53歳で逝去した。
【Qolyインタビュー】ヴィッセル神戸退団時「もう自分は終わってもいい」と引退も考えたMF中坂勇哉…FC BASARA HYOGOで歩む新たな道