――結果を残していた中で2年目。デン・ハーグでの記憶に残るというか、パネンカのPK失敗がありました。あの場面、なぜパネンカで蹴ろうと思ったのでしょうか。

何でだったかな。なんか余裕があったんですね。自分の中で、絶対PKを入れられるだろうみたいな。キーパーも横飛びするのが見えたので、「(ボールを)チョンでいいや」みたいな。打ったらゴールの上のネットに行って。

落ち込んだ若い選手がいたら「YouTubeで『ハーフナーマイク パネンカ』と調べてみて。すぐ元気になれるから」と言って励まします(笑)。

スコア1-1のアディショナルタイムにPKを取ったのは僕なんです。その試合で1点目を入れたのも自分で、ボレーのすごく良いゴールでした。決めれば勝ちだった試合で、「この試合を締めくくるのはパネンカだろう」と。自信を持って打ったら外したというだけです。

――パネンカから22試合ほどゴールが遠ざかって、その後連続でゴールを決めて最終的にはリーグ戦9ゴールという形でした。パネンカ失敗後、ゴールから遠ざかった理由と復活した理由を何だったのでしょう。

元々そこまでチーム状況は良くなかったんです。最初の3試合はまだ良かったんですけど、多分そこまで強い相手じゃなかった。そのあと強い相手とやっていったら、化けの皮が剥がれてきたというのがありました。

やっぱり上手くいかないことが多くなると守備も上手くいかないですし、チームも間延びしてきて、本当にチャンスが少なかったというのはありましたね。

自分は確か少し難聴になってしまって、後半戦ちょっと出遅れたんですけどその間に監督が代わって、立て直すという意味で色々チーム内も変わりました。そこからまたうまく回り始めたというか機能し始めて、また点が取れるようになったかなと思います。