もう1人は2012-2013シーズンにホッフェンハイムで同僚だったブラジル人FWロベルト・フィルミーノ(現アル・アハリ)。
2015年から8年間プレーしたリヴァプールで「9.5番」を確立した印象が強いが、当時21歳の彼はトップ下や右サイドでプレーするMF。現在は献身性を高く評価されるが、当時は左サイドで絶好の位置に走り込んだ宇佐美にもパスを出さないような利己的なプレーを選択することも多かった。
「当時から技術的に上手かったですよ。今とは少しプレースタイルは違いました。
ボールを受けるとコネて、コネて、ドリブルで突っかける。如何にもブラジル人の10番タイプ(トップ下)という感じでした。パスが来ない、出さないというのは南米出身の若手選手で、それがポジションを争う選手なら当然だと思いますね。
リヴァプールに移籍してからは自分で仕掛けるよりも周りを活かすスタイルに変わっていったように思います。
それこそ、ポジションは『9番(ストライカー)』ですけど、10番のような役割ですね。ポストワークで後方の選手を前向きにして、チーム全体の推進力を上げていくようなプレーが多くなったように見ています」
宇佐美とアラバは同い年で、1歳年上のフィルミーノとも同世代。彼らはポジションや役割も変えているが、どのポジションでプレーしても自分が出せる。
「本職のCBのようにプレーするアラバ」ではなく、「アラバがCBでプレーする意味」を自らが汲み取ることが大切だ。
ナーゲルスマンの指導を受けた初の日本人?
そして、そのホッフェンハイムでは現在“時の人”となっている人物ともトレーニングを積んでいた。今年9月にホームで日本代表に1-4と惨敗したドイツ代表の新指揮官に抜擢された、ユリアン・ナーゲルスマンだ。
2016年2月、ドイツ・ブンデスリーガ史上最年少の28歳でホッフェンハイムの監督に就任したナーゲルスマンは、崖っぷちだったチームを建て直して残留に導いただけでなく、翌季からは4位、3位とCL出場権を獲得する攻撃的な魅力溢れるチームを作り上げた。
その後もRBライプツィヒやバイエルンの指揮官にも抜擢され、36歳にしてW杯優勝4度を数える母国の代表監督に指名されている。
「ホッフェンハイムの監督に就任するというニュースを見た時に、『あっ、いたいた。あの人だ!』と思いました。僕は彼がドイツ国内で将来を嘱望されている指導者だとは知らなかったので、ビックリしました。
当時はアシスタントコーチでしたけど、選手が足りない時はロンド(鳥かご、パス回し)に入って一緒にトレーニングもしました。分析の仕事などもこなしながら、それこそ“何でも屋さん”のように選手に近い距離で指導されていましたね。
当時25歳だったと思うんですけど、彼よりも年上の選手も多かったですし、みんなからは“ユリ、ユリ”と呼ばれていました。僕も呼んでいたんだと思います(笑)」