2022年5月1日に亡くなったイヴィチャ・オシム氏は、日本サッカー界に様々なものをもたらした。

2003年に来日し指揮を執ったジェフユナイテッド市原(当時)の躍進はもちろんのこと、2006年に就任した日本代表での仕事ぶりも大きな話題に。

その渦中にいた選手として、真っ先に思い当たる一人が羽生直剛氏ではないだろうか。167cmの小柄な攻撃的MFは、動きの質と量でチームの潤滑油となり、当時のオシムサッカーをある種象徴する選手だった。

1979年生まれの「黄金世代」であり、八千代高から筑波大へ進学した大卒選手でもあった羽生氏。

そこでQolyは、44歳になった現在、古巣のFC東京でクラブナビゲーターとして活躍する羽生氏を直撃!

インタビュー後編では、大学時代やジェフでのオシム氏との出会い、「嬉しいという感覚はなかった」という日本代表でのプレーや、現在の日本代表などについて聞いた。

雲の上の存在だと思っていた「黄金世代」

――ここからは羽生さんのキャリアについて伺わせてください。1998年に千葉県の八千代高から筑波大へ。進学先に筑波を選ばれた理由は?

当時、サッカー選手になりたかったんですけど、将来なれると確定はもちろんしていなかったので、プロになれなかった時に体育の先生になりたかったというのが大きいですね。

それで、サッカーが強くて、体育の教員になることができて、学費も安い。あと、僕が高校の時に教わっていた顧問の先生が筑波大出身であったことが最後の決め手ですかね。理論的な話をしてくれる先生だったのでそういうのが好きだったのかもしれないです。

※当時の八千代高サッカー部監督、今泉守正氏。その後、日本サッカー協会でU-20日本女子代表監督やJFAアカデミー女子統括ダイレクター、なでしこジャパンコーチなどを歴任し、現在はアメリカNWSLのワシントン・スピリッツでプレーヤーデベロップメントコーチを務めている。