森﨑兄弟

左が弟の森崎浩司、右が兄の森崎和幸

【プロ入りまでのキャリア】
矢野FC
広島市立矢野中学校
サンフレッチェ広島ユース
サンフレッチェ広島

Jリーグ史上屈指の双子選手として知られる森﨑兄弟は、現在も広島に所属する茶島雄介や元プロ野球選手の小早川毅彦さんと同じ広島市安芸区の出身だ。

中学時代は部活でプレーしたが、高校になって広島ユースに加入。2000年に森﨑兄弟、駒野友一ら7人が同時にトップ昇格を果たし、新世代を担う若手として大きな期待を受けた(田中マルクス闘莉王は同い年だが1年遅れて高校から加入)。

兄の和幸は思慮深い性格で守備的MFやストッパーを務め、天才肌だった弟の浩司は攻撃的MFとして活躍。二人とも日本A代表に選ばれることはなかったが、共にリーグ屈指のMFとして2010年代の3度のリーグ優勝に貢献した。

なお、顔はそっくりであるが二卵性双生児である。

森脇良太(愛媛FC)

【プロ入りまでのキャリア】
幕山サッカー教室
サンフレッチェびんごジュニアユース
サンフレッチェ広島ユース
サンフレッチェ広島

サッカー界屈指のお調子者は広島県の最東部、岡山県に隣接する福山市で生まれた。ジブリの映画『ポニョ』の舞台であり、第78代内閣総理大臣の故・宮澤喜一やロック歌手・世良公則さんの出身地としても知られる町だ。

広島には中学生の頃から所属し、2005年にトップ昇格。同期には天才・前田俊介、髙萩洋次郎(現アルビレックス新潟シンガポール)、髙柳一誠らがおり、ユース時代は今なお史上最強との呼び声もあるチームを形成した。

プロ入り後は愛媛FCでの武者修行を経てペトロヴィッチ体制でレギュラーを奪取。思い切りの良さと中学時代までFWだった攻撃力を生かし、超攻撃型の右ストッパーとして活躍した。

2011年には日本代表に初招集され、同年のアジアカップではフィールドプレーヤーで唯一出場機会がなかったものの盛り上げ役として大会4度目のアジア制覇に大きく貢献している。

翌年、Jリーグ初制覇を置き土産に浦和レッズへと移籍。浦和でもリーグ優勝やACL制覇などに貢献し、38歳になった現在は古巣の愛媛FCでプレーを続けている。