海外からオファーありながらも選んだ国内の道
1980年に生まれ鹿児島の桜島で育った遠藤。鹿実を卒業して横浜フリューゲルスに入団すると開幕スタメンを掴んだ。1999年には「黄金世代」でワールドユース準優勝も経験している。
横浜フリューゲルスの消滅に伴い、京都サンガ、ガンバ大阪へと移り、若くしてボランチのレギュラーに。今の時代に遠藤がいたら、間違いなく早い時期に海外に移籍しただろう。
ただ、海外からのオファーがなかったわけではない。イタリアのクラブからオファーはあったが、遠藤本人が希望するものではなかった。
フィジカル重視で自身のスタイルと異なるというのが大きな理由だった。パスサッカーを好む遠藤は「スペインから来たら間違いなく行っていた」という。