セルビアへステップアップ、インドネシアへの挑戦
モンテネグロに来て3シーズン目でウィングでブレイクした山本は、東欧でも最高峰のリーグであるセルビア1部へ活躍の場を移した。スパルタク・スボティツァでプレーを経て再びモンテネグロへ戻り、2022年からは新天地インドネシアへと飛び立った。
――セルビア1部スパルタク・スボティツァにステップアップします。東欧最高峰のリーグにたどり着きましたけど、これはどういう経緯で移籍されましたか。
「(モンテネグロ)1年目は悪くはなかったんですけど、いろいろアクシデントがありました。健康面が理由で1年目は満足に1シーズンを過ごせませんでした。それで2年目、21歳になるときですよね。自分と同い年の日本にいる選手が大学を卒業するタイミング、同い年で大学に入った人はそこからプロに行くか引退するかで分かれるという流れで、その年は自分も気合が入っていたんですよ。
その当時モンテネグロから何人かがセルビアに移籍をしていたので、『ここで結果を出して自分も』と思っていました。(モンテネグロからセルビアに移籍した選手の中には)野間涼太選手、一緒のチームでやっていたりもしてすごく仲が良かったです」
――他にも志村謄(のぼる、元FC町田ゼルビア)選手がそうですね。
「そうですね、(志村は)スパルタクにいました。その二人が当時モンテネグロで結果を出してセルビアに移籍をしていった選手たちです。当時の自分だけじゃないとは思うんですけど、モンテネグロで活躍をしてセルビアにステップアップしたいというのはすごく強かった。セルビアに行けたらその先のチャンスがあるから。それで21歳のときに頑張って、少し結果を出せてスパルタクから話が来ました」
――セルビア1部にはあのツルヴェナ・ズヴェズダやパルチザンもありますからね。
「レッドスター(ツルヴェナ・ズヴェズダ)、パルチザンは試合のときにベンチから観ていましたけど、そこの二つはちょっとレベルが違いましたね。セルビアリーグはレベルが高かったです」
――セルビアでは2試合の出場にとどまり、その後ローンで再びモンテネグロのイスクラに移籍しました。こちらの経緯を教えてください。
「スパルタクのときに全然試合には絡めませんでした。やっぱり試合に出たいという気持ちがあったので『移籍を』という話をしていました。そのときにモンテネグロのイスクラから話があって、しかもヨーロッパリーグの出場権争いをしているいいチームでした。
『それならOK』と選んで行きました。最初はローンで半年間行って、その後スパルタクとの契約期間をイスクラにそのまま移して残りました」
――イスクラで2シーズンほどプレーして、その後インドネシアのペルセバヤ・スラバヤに移籍されます。ヨーロッパから東南アジアへの移籍は葛藤はありましたか。
「その当時26歳で、ヨーロッパの中では若くない。モンテネグロ、ヨーロッパで続けてどこまで行けるのかと考えたとき、ちょうどそのタイミングでインドネシアから話がありました。
その先の選択肢は自分の中では決めやすかったですね。そこからは待遇のいいほうに行ったほうがいいと思っていたので、意外と迷いなく選べました」
――ヨーロッパからインドネシアへの移籍。インドネシアに対してカルチャーギャップはありましたか。
「まず国というか文化が違いますね。いままで経験したことがない文化でした。宗教の色がすごく強くて、お祈りの音が町中でずっと聞こえます。町もバイクばっかりですね。
サッカーもいまは外国人が(1試合)8人枠ありますけど、その当時は4人だったんですよ。試合のレベルが高いかと言われたら全然そうじゃなくて、そういう面でも最初は逆に難しさがありました」