前身は育成王国
じゃあ、ベフェレンって大した選手もいないしJリーグのチームより弱いんじゃないの?といった懐疑的な目を向ける人もいるだろう。
だが、旧KSKベフェレンは育成に定評があるクラブで、これまで独特な戦略を持って運営してきたチームだった。その一端を紹介しよう。
1.GK王国
育成といってもGKスクールに特に定評がある。ジャン=マリー・プファフ、フィリップ・デ・ヴィルデ、ヘールト・デ・フリーヘル、トリスタン・ペールスマンといったベルギー代表守護神を数多く輩出している。今シーズン20試合を守ったラースロー・ケテレシュもハンガリー代表招集のみでcapはないが、ヘンクで200試合以上プレーしてきた重鎮で2010-11シーズンにはリーグ優勝を経験している。
2.コートジボワール王国
元フランス代表のジャン=マルク・ギユーは1993年にコートジボワールにASECミモザがスポンサー、会長、監督を引き受けた。ギユーは、アフリカで若者を鍛え上げヨーロッパへ輸出するアカデミーを作ったのだ。そこでは、朝の6時から夜の8時過ぎまで練習を行い、英語、スペイン語、フランス語と3か国語をはじめ勉強面でもぬかりがないなどスパルタ教育を行った。
2000年までASECで監督を務めたギユーは注目を浴びた。当時、私が購読していた雑誌群ではよく記事が取り上げられていた。コートジボワールはまだアフリカの強豪でもなく軍隊が統治していた厳しい情勢だった頃である。
後に、2001年からベフェレンの監督になったことで同クラブに在籍するコートジボワールの若者を次々とベヴェレンへ連れてくる策略をとった。
その中にはユース上がりだったヤヤ・トゥレ、アルトゥール・ボカのほか、エブエ、ジェルヴィーニョ、ロマリッチ、ディディエ・ゾコラといった名だたるメンバーがいた。彼らは後にビッグクラブへとステップアップし、コートジボワール代表でも主力を務めた。彼らの中には、2014年のワールドカップで日本代表と戦ったメンバーも含まれている。
一方で、上記の写真のように選手のほとんどがASEC上がりのコートジボワール人になってしまっていた時期もあった。そして、その全員が成功できるわけではなかったため、ギユーはベヴェレンでコートジボワールの若者を自分のおもちゃのように扱ったという批判もある。
3.アーセナル王国
2001年から2006年までアーセナルと提携をしていた。ギユーと友人のアーセン・ヴェンゲルはモナコ時代からつながりがありアーセナルがコートジボワールとベルギーを使ってアフリカから選手を生み出すことに賛同したのだ。
エマニュエル・エブエがベフェレン経由でアーセナルへ移籍し、イーゴルス・ステパノフスが反対にアーセナルから貸し出された。
2001年に、ベフェレンの財政難からアーセナルが150万ユーロを貸し出した。これが、「フェアプレーと利害の対立を管理する」FIFAの規定を破るものとされ、ベルギー警察から調査を受けた。結果的にはアーセナルは利子をつけない融資であったことから、FAとFIFAはこれを許可した。