ダヴィド・ルイス

「僕は思う。多くの人々がサッカーをプレーするのを楽しんでいるのに、彼らはそれを見せたがらないんだ。

自分がこんな感じなのは、そうであろうとしているからだよ。これが夢だったから。それを覚えているからだ。

妹とはよくふざけ合って、自分の写真にサインをするふりをしていたんだ。

今、僕が車を停めると、人々が紙を手渡してくる。あるいは写真を欲しがる。

練習場に片足しかない子供が練習場に来て、笑顔でサッカーについて話す。彼が決めたゴールについて話す。

僕は思うんだ。『疲れているなんて言えないな、問題なんてあるか?』って」

「誰もが純粋な状態で生まれる。産婦人科に行っても、悪いエネルギーに満ちた赤ちゃんには会えないよ。

しかし、世界の汚れた部分に近づいたとき、人は変わってしまう。

ある時点で、人は悪いことをやる。それは、正しい時に適切なサポートを得られなかったからだ。

世界の汚さに塗れた人は、どうあっても不満を言い続けている。何があってもだ。

それを押しのけなければならない。世界の汚れを。ネガティブな心を。ネガティブなウソを。

100人を集めて『問題はある?』と聞けば、100の問題を聞くことが出来るだろう。

しかし、一対一で話し、あらゆる問題を全て見せたなら、『自分には特にないよ』と思う。

これが、世界というものだ。

我々に『ネガティブになれ』と教える者がいる。

しかし、僕はいつだってそんなことはない。そんなとき、『おい、目を覚ませよ!』と思う。

僕は自分をクリーンにするんだ。全ての汚染を払いのけてね。正しいことをやろうとする。ミスを冒すか?それは当然だよ。

病院へ行って、ベッドに横たわる人々と会う。そこで『僕は彼らより恵まれている』と思う。何の痛みも感じていないのにね。なんでだろう?

ただ、喜びは重要だよ。サッカーだけでなく、人生全てにおいてね。

喜びは、真剣さにも繋がるし、それがプロフェッショナリズムにもなるんだよ。

激しい練習の中でポテンシャルを最高潮に高めてくれる。規律正しくもしてくれる。守る必要があるルールに従わせてくれる。それが喜びというものだ。

サッカー選手をジャッジする仕事を持つ人々がいる。彼らは意見がなければならないんだ。当然のことだけどね。

それが素晴らしいものではないというのは、彼らがふと考えた時に思うことだろう」