――高原さんの存在がやはり大きいです?
そうですね。来る時にそういう話をしました。
ここに来る前はSC相模原でプレーしていて、タカ(高原)さんから話をもらったんです。その時はできれば上(のディビジョン)でプレーしたいと思っていたので、「J2からオファーがなかったらお世話になります」と返事をしました。
沖縄へ行くからにはそのチームで上がることしか頭にありませんでしたね。タカさんが沖縄SVを作った時から声をかけてもらっていましたし、行くからには最後というか自分の中でケジメをつけていこうと思っていました。
沖縄には縁もゆかりもなかったんですが、タカさんがずっと「行こう行こう」「まだか」と言ってくれて。
僕がまだSC相模原にいる時に沖縄SVが10月の全国社会人選手権大会で完敗して、直後に電話がかかってきたんです。「やっぱりセンターバックがいないとダメだ」と。その時は「いやタカさん、まだ早いですよ(苦笑)」と答えたんですけど。
ただ、選手としてそれだけ誘われている時点で、感じる部分はやはりありました。僕はチームを結構転々としてきたので、信頼されて、自分が必要とされるチームでプレーできることがどれだけ幸せか知っています。この世界、チームにいたくてもいられないことが多いじゃないですか。
信頼してくれている人のもとでプレーできることはあまりない環境だな、と。いろいろ考えているうちに考えが変わってきて、成長途上のチームに入るのも面白そうだと思ったので、12月くらいには決めました。