アレッサンドロ・デルピエロ

2006年、ユヴェントスでスクデット勝ち取ると、イタリア代表でもワールドカップ優勝を成し遂げたデルピエロ。だが、その直後にユーヴェはカルチョポリスキャンダルでセリエBへと降格した。

ユーヴェはズラタン・イブラヒモヴィッチ、パトリック・ヴィエラ、ファビオ・カンナヴァーロらを失うことになったが、パヴェル・ネドヴェドやジャンルイージ・ブッフォンら残留を選んだ主力たちもいた。

最も重要だったのは、象徴的な10番であるデルピエロが残留を宣言したことだった。「本物のジェントルマンは決してレディを離さない」と(ユーヴェの愛称は老貴婦人)。

デルピエロはユーヴェをセリエA昇格に導くも、チームは4年もタイトルから遠ざかった。彼はベンチ行きになってもユーヴェに残った、チームはフラムにEL敗退に追い込まれた時も、2度もリーグ戦で7位に終わった時も…。

2011-12シーズン、アントニオ・コンテ監督が率いるユーヴェがスクデットを獲得した際、復活を見届けたデルピエロはイタリアサッカーに別れを告げた(シドニーFCに移籍)。

彼のラストゲームで涙に暮れたユヴェントススタジアムはクラブ史上最多スコアラーがもう1年プレーすることを懇願していた。

※記事では触れていないが、デルピエロはマンチェスター・ユナイテッドのサー・アレックス・ファーガソンから2度移籍を誘われたと明かしている。1度はユーヴェがセリエBに降格した際、さらに2000年以前にも獲得オファーがあったとか。