アントニオ・カッサーノ

ローマで若くして大活躍し、フランチェスコ・トッティの後継者になると信じられていた天才アタッカー。誰にも予想できないプレーと自由奔放さを持つスター候補であったが、その一方で素行の悪さは有名であり、監督やチームメイトと衝突を繰り返していた。

そして2006年1月にローマと喧嘩別れしてレアル・マドリーへとやってきた。ところがスペインでは生活が荒れたことによって体重が激増し、ローマ時代の恩師でもあったファビオ・カペッロ監督とも対立した。

怪我とコンディション不良、さらに悪い態度が問題となってレアル・マドリーを追われるように去っていった。その後サンプドリア、ミラン、インテル、パルマなどでプレーして活躍したが、エキセントリックな性格だけは最後まで変わらなかった。