――韓国との試合は接戦(0-1)で佐藤選手も活躍されました。あの試合を振り返っていかがでしたか。

あのときは身体的に満身創痍(まんしんそうい)で、アキレス腱に慢性的なケガをずっと抱えていました。それでも夢の舞台だから「どうしても出たい」という気持ちがあった。注射を毎日打ちながらやっていました。

韓国とやったときは通用する部分がすごくあった。「やられていない」と自分の中では実感できましたし、個人だけで見たらやれるところがすごくあった。「こういう舞台にもっと立ちたい」と思いましたね。いまウルヴァーハンプトンにいるファン・ヒチャンとガッツリやり合いました。

ファン・ヒチャン(中)とマッチアップした佐藤(左)

自分はいままで上を目指してきましたから、どこまでできるのかと自分の中でありました。実際やってみて通用する部分が結構あったので、本当に楽しかったですね。すごい場所でやっている選手と対等にやり合えたシーンもあったから、自分もまだ捨てたもんじゃないと思いましたね。

――佐藤選手も当時はルーマニアでバリバリやっていましたしね。

本当はもっと上でやりたかったというのはあるんですけど、運とかもありますからね。ただ、あの(韓国との)試合は自分が通用すると強く思いました。チームとしては負けましたけど、個人としては「負けていない」と自分の中で思っている。ああいう舞台に立たなきゃそれを感じることができなかった。いい経験でした。

――フィリピン代表の宿泊先が日本代表と同じでした。選手たちとも交流があったそうですね。

(浦和ユースの先輩の原口)元気くんは「おお、久しぶりだね」って言ってくれましたね。何人かのユニフォームが欲しかったんですけど、元気くんが助けてくれて何枚か貰えました(笑)。槙野くんは(浦和ユース出身の)僕のことを覚えてくれていました。もうすごく夢のような時間だった。普通にサッカーの話をしましたね。

本当に大した話はした感じではないですけど、改めて子供に戻った感覚でしたね。それと同じで自分が辿ってきた道を誇りに思うじゃないですけど、「やっとここまで来られた」というか。あの時間は最高でしたね。

ホテルでは長友佑都(左)とも交流