オーケストラのようだった川崎

高校時代は並外れた身体能力とフィジカルで複数のJ1クラブからラブコールを受けたタビナスは、2017年に当時のJ1を席巻していた川崎に鳴り物入りで加入した。優れたポテンシャルを秘めたルーキーであったが、黄金時代の幕が開けた川崎では実力の差を痛感した。それでも受けた刺激は現在でもプロとして生きる糧となっている。

――川崎加入の経緯を教えてください。

川崎が「Jで1番強いチーム」というのもありましたし、そこでどれだけ自分がやれるかを見せたかった。その当時の自分は自信も過剰だったというか、いま考えたらオーバーに持ち上げられていました。

高校サッカーを通った人なら分かると思うんですけど、メディアがすごく持ち上げるんです。客観的に自分が見れていなかった。そのとき1年目から試合に出て、1番強いチームで試合に出られればと。そのときは日本代表に入りたいと思っていました。『試合に出て活躍したらどこがベストか』と考えて、もっと自分を良くするために川崎を選びました。

――高校選手権に出ると大勢の記者に囲まれるから勘違いしちゃう人もいるみたいですよね(苦笑)。

あれはやりすぎですよね(苦笑)。

――当時の川崎は中村憲剛さん、家長昭博選手と錚々(そうそう)たるメンバーが集まっていました。チームの中に入って率直に感じたことを教えてください。

衝撃でしたね。川崎のサッカーは良くも悪くも独特じゃないですか。俺がいたときはもっと風間(八宏)さんのテイストがあってすごく独特でした。密集地でもボールをつなげちゃう感じがすごく俺にとって衝撃だった。高校サッカーなんて子供たちのお遊戯会なんだと思い知らされましたね。

中村憲剛さん

――お遊戯会…。想像を絶しますね。

本当に下手な人がいなくて、基本的にみんな上手いんですよ。今回で5つ目のクラブになるんですけど、その中で「下手な人がいない」と思ったクラブは川崎だけなんですよね。(川崎の選手は)みんなそれに加えて速い、強いとか能力を兼ね備えている。

大体は「この人は速いけど、あんまり上手くないな」とか「この人すげえ体強いし、空中戦強いけど、あんまり上手くないな」という人がいるんですけど、川崎は(技術の)アベレージがみんな高い。そこに強いとか、速いとかプラスアルファがあったから、そのときの僕からしたら衝撃でした。

――中村憲剛さんのようなバンディエラと同じ練習場で練習して刺激を受けましたか。

毎日が学びですね。怒られるとかそういうのはなくて、淡々と技術で示していくスタイルでしたね。緊張感は練習の雰囲気で作り上げるというよりも、「うわ、ここで俺がミスしたらこのボールタッチの流れが」とか「このビルドアップの流れが止まってしまう」みたいなそういう緊張感がすげえいいなと思いました。

ミスして「おい、何しているんだよ!」みたいな感じで怒られるんじゃないんです。もう怒られるとか怒られないとかじゃなくて、「このテンポを崩したら最悪だな」と。表現が難しいけど、みんな上手いし、基本ミスをしません。

――例えばオーケストラで少しでも音がズレたときの空気が凍るという感じですか。

あ、まさにそんな感じです!基本みんな外さないから、一人がピーッみたいな変な音を出したら、もうそんなときには…。それも別に怒られないんですよ。「なんだあれは」みたいなという感じです(苦笑)。