今後は「1つのクラブで長く指揮してみたい」

――ハード面やソフト面なども含めて、この半年で見えたベトナムサッカーが抱える課題は何でしょうか。ピッチ状態とラフプレーの多さについては、記者会見でも何度か苦言を呈していたと思いますが?

「指摘すべきことは記者会見の場で伝えてきたつもりです。今質問していただいたことがほとんどなんですが、一つはやはりピッチの問題。あとはスタジアムやクラブハウスもそうですが、ハード面の改善に対して問題意識が低い気がします。この国のサッカーを長期的に強化していくためには必要なことですし、特にピッチ状態は重要な要素。

例えば、今ハノイがやろうとしているサッカーに挑戦するとき、ピッチ状態が悪い中では非常に不利。この環境下では、ロングボール主体のサッカーと対戦したとき、どうしても不利になります。ベトナム人の特徴を考えたら、良いピッチ状態で、しっかりパスを繋げるスタイルのほうが適していると思います。普段使う練習場から改善していかないといけません。

もう一点、ベトナムでは選手の怪我に繋がるような危険なプレーが横行しているように感じます。これをレフェリングで裁くことができていない。実際ハノイからも怪我人が出ましたし、危ないなと思うプレーが毎試合散見されます。

その度に第4審に対して、選手を守ってくれと要求しているんですが、現状それができていない。選手を守るためにルールがあり、それを守らせるのが審判団の大きな役目の一つなので、そこは是非改善して欲しいです」

――選手たちに指導する中で、言語化する上で最も気にかけたことは?

「そこは来る前も来てからもいろいろと考えさせられました。まず言葉があまり通じないし、通訳もサッカーに関しては素人。だから、サッカーを知らない通訳にも伝わる言葉じゃないといけない。あまり深く戦術的な指導を受けてこなかった選手たちに、どれぐらい提示すればいいのか。

プロ選手は育成年代を通り越しているわけで、ある程度自分のサッカーが出来上がっている。彼らのパフォーマンスを向上させることを考えた場合、100を伝えると、パンク気味になって逆に体が動かなくなるということが、サッカーではよくあります。

何を伝えるかは、その都度微調整しながらやってきました。色々な局面で、1つ2つの少ない原則の提示を行うことで、結果的に10のプレーを生み出すような言葉選びを心掛けました。日本時代より少ない提示で効果を出すことができましたし、選手たちもプレーしやすかったと思います。これは僕の指導者キャリアの中でも大きな経験になりました」

――以前のインタビューでは、通訳も育てる気持ちでいると語っておられましたが、サッカー通訳の重要性についてはどう感じていますか?

「来る前から通訳はとても大事だというのは何度も聞かされていましたが、実際体験してみると、その言葉の重みが違って感じられました。通訳によって変わるものは大きいんだなと感じています。

特にVリーグに関しては、外国人指導者も多くなく、日本人指導者は僕が3人目(※HCMCの三浦俊也氏:2018年、サイゴンFCの霜田正浩氏:2021年)で、選手も含めて日本とは交流が薄い状況。日本語が分かる人は多かったとしても、サッカーや指導を理解している人は数えるほどしかいません。

でも、よく考えればこういうステップを各国で日本人指導者が通ってきて今があるわけです。例えば、タイなんかはその恩恵を受けて、今の日本人指導者たちがいる。だから僕もここで先駆者になるんだと、ある程度割り切って努力してきたつもりですし、今後より多くの日本人指導者がベトナムで活躍できるようになればいいなと思っています」

――ハノイFCでの指導を経て、指導者またはサッカー人としての成長と収穫を感じていますか?

「たくさんあって全部は挙げられないですが、一番大きかったのはプロ監督として、シーズン終盤に自分が思い描いたチームに変化していくというのを経験するかしないかというのは大きいと思うんです。それがどの国のリーグで、どのカテゴリーだったとしても、一つ経験しておくだけで、自分の中のチーム作りに対する軸が定まることに影響してきます。

昨年の鹿島では、5位という成績の良し悪しは置いておいて、シーズン終盤戦に入っても、これが自分のサッカーだと思える瞬間がほとんどなかった。それは自分の中の大きな反省でもあって、どうすればよかったのか考えました。

今回のハノイでは、鹿島の延長線上ではありますが、少し違うチーム作りをしてみて今、公式戦の中で思い描いた通りのチームになっている。これは監督として、すごく大きな経験でした。このサッカーが自分の代名詞になりますし、僕はこういうサッカーが作れる監督だという自信と、今後の名刺代わりにもなる。

鹿島で1年半、ハノイで半年指導して、指導者としての経験値と幅が広がりました。別の国、別のチーム、別の選手を指導したことで鹿島時代の経験を多角的に見ることができるようにもなりました。本当に半年だったのかというぐらい、ハノイでは濃密な時間を過ごせています」

――指導者として次のチャレンジや描いている今後の目標は?

「ここまで比較的短いスパンで2つのクラブを指揮するというキャリアになっていますが、今後してみたいのは1つのクラブで長く指揮してみたいということ。

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1年目というのは、与えられた選手でチーム作りをします。これはこれでやりがいがありますが、思い描くチーム作りに足りない戦力というのは当然出てくるわけで、そこを補強しながらできるのが2年目、3年目です。そういうチーム作りを40代のうちに経験したいと思っていますし、そういうクラブと出会えるといいなというのが今の願いです」

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