神戸の未来を背負ったチャンスメイカー
中坂のプレースタイルは卓越した技術に基づいたチャンスメイクが武器であり、相手を寄せ付けないパスや守備をはがすドリブルは見とれるほどの優雅さがあった。2016年にプロデビューを飾り、リーグ戦12試合1得点を記録。翌シーズンはリーグ戦14試合2得点と順調に結果を残した。
2018年は当時スペイン3部CFペララーダへ期限付き移籍。当時スペインに所在する会社の代理人と契約していた中坂は「あのときはなかなか試合に出られない時間帯も多かった中で話をいただけた。若かったし、海外で生活しながらプレーすることは、自分のためになるんじゃないかと思って移籍を決めました」と海外で武者修行に励んだ。
日本有数のビッグクラブからスペインのアマチュアカテゴリーのクラブへ移籍したことで、文化の違いやハングリーさを学んだ。
「3部になるとなかなかサッカーでご飯を食べられる選手も少なかったです。僕が行ったそのチームでは、日本に比べて練習からもっとバチバチというか、譲り合ったりと、試合へ出るために自分が輝くことが大事でした。僕が感じた日本との違いですね。いま振り返るといい経験になったかな」
翌シーズンは当時J2の京都サンガへ期限付き移籍し、元日本代表DF田中マルクス闘莉王さんから公私にわたって可愛がられた。日本代表で名を馳せた名プレイヤーから多くを学んだ。
「(闘莉王さんから)『気にせず若いねんから、やったらいいやん』とシンプルですけど、それが一番自分の中では大事な言葉というか。それは自分も大事にしていた部分ではあったので、やっぱり『その方がいいよ』と言われたことが自分の中では一番大きかった」と、自信を深める言葉になった。
2020年に神戸へ復帰してから転機を迎えた。同年9月にドイツ人指揮官トルステン・フィンク監督の後任指揮官を三浦淳寛(あつひろ)スポーツダイレクターが引き受けた。
「アツさんが強化のときからうまくいってないときに声をかけてくれました。そういうのが自分の中で『やらなあかん』とポジティブな気持ちになれました。アツさんには助けられました」と中坂。
三浦監督から指導を受け始めてからは、競技への向き合い方が変わった。朝早くに練習場であるいぶきの森球技場へ足を運んで、トレーニングに向けた準備をするようになった。
「『高校生みたいなことを俺は言いたくないけど』という話がスタートでしたね。僕はどちらかといえば、用意や準備をするタイプではなかったので、朝に(トレーニング開始)1時間半前に(練習場へ)来て、しっかりと体をほぐしたりとかしました。 準備をしてトレーニングをする方が、スムーズにトレーニングにも入っていけます。特別何をやれ、何をしたらいいと言われてはいませんけど、朝8時にクラブハウスに来て、あの練習に向けてやることをやる。 それからずっとトレーニングの準備をやりました」
地道な努力は実を結んだ。中坂は2021年シーズンにリーグ戦28試合3得点1アシストとキャリアハイの活躍を披露。「1年間通して試合に出続けられたことは、選手として自信になりましたし、すごく充実した1年でした」と、まさに神戸の未来を背負う生え抜きとして大きな期待を受けるほどに成長した。
神戸の未来と目されていた中坂だったが、アカデミー時代は紆余曲折を経てプロとなった。問題児といわれたテクニシャンは、どのような経路を辿ってトップチーム昇格を決めたのかに迫った。