時期尚早だった海外挑戦
ハーツからの移籍は今年3月26日に発表され、約2年ぶりとなるJリーグ復帰となった。
J1ヴィッセル神戸の下部組織で育った小田にとって、初の海外挑戦は苦しいものだった。約2年間の在籍で、公式戦57試合7得点1アシストを記録するも、ふくらはぎの負傷をはじめとする度重なるケガに悩まされた。
小田は後にこの負傷が、ハーツ退団のきっかけにもなったと口にした。
――2023年1月11日に長年過ごした神戸からの海外挑戦が発表されました。どのような思いでしたか。
「小さいときからずっと神戸だったので、トップ昇格のときはうれしかったです。当時からメンツがすごかったので、正直『やれるのかな』と思いながらでしたね。
そのときは海外への気持ちが強かったわけではなくて、好奇心というか…。海外ってどんな感じなのか、海外でやれるのかを味わってみたいと思い、ハーツに行かせてもらいました」
――当時21歳の小田選手にとって初めての海外移籍。率直にどうでしたか。
「ハッキリと言って自分には早かった。やっぱりトータルでいえばキツかったというか…。もちろんハーツに加入してやれる部分もありましたけど、本当に実力不足だと感じました。ケガも多かったので、学びの方が多かったですね」
――具体的に足りなかった部分とは何ですか。
「それこそコンディション維持のところです。日本でも同じですが、特に海外ではケガで2、3試合離脱すれば、代わりに結果を残したやつに(ポジションを)奪われるという競争がある。そういった意味では一貫性が全然足りなかったですし、それは海外で絶対に必要だと思いました」
――小田選手がスコットランドでプレーしている間に、神戸はJ1を2連覇しました。
「一緒にやっていた選手もいたので、『すごいな』と思いながら悔しさもありました。改めて、この間の試合(J1第23節)ででっかいクラブだなと思いました。0-4で負けて悔しかったですけど、ファンも温かく迎え入れてくれたので、感慨深い気持ちになりました」
――スコットランドではケガに悩まされたという印象でした。
「めちゃくちゃケガしたんですよ。それこそ、この前の鹿島アントラーズ戦(J1第29節0●3)で田川亨介(きょうすけ、鹿島)くんと話をしていて『お前、またケガしたんか』って言われました。ケガをして、復帰してを繰り返していました」
――ハーツで共闘した田川選手は試合後に、小田選手の存在が大きかったと言っていました。
「スコットランドに行く前は日本人がいない方がいいと思っていたんです。自分でやっていく感じを楽しみにしていたから。でも、2023年の夏に亨介くんが途中から来てくれてありがたかったです」
――しかし2024年の夏に田川選手は鹿島に移籍してしまった。
「途中から来て、先に去って行ったから、『いや、置いていくんかい』と思いました」
――苦労もあったのではないですか。
「やっぱり言葉ですよね。英語の日常会話は結構いけるんですけど、ケガをしたときに意味の分からない単語が飛んでくる。あと、メディカルの設備も全然日本の方がいいので、ケガをしている間はキツかったです。あと、ご飯はやっぱり日本がうまい。それに寒いんです」