ハーツで構想外となった半年間

負傷によって本来の力を発揮できないまま、ハーツでの日々は2024-25シーズンに終わりを告げた。

苦しむ小田にハーツのニール・クリッチリー監督が「移籍していいぞ」と、事実上の戦力外通告を言い渡したからだ。

「かなりタフでした」と冬場には氷点下になるエディンバラで、小田は黙々と個別メニューを消化した。

――現地のサッカーについて教えてください。

「サッカーがマジで日本と違う。まったく別ものですし、Jリーグのレベルはとても高いと思います。例えばセルティックやレンジャーズは戦術もちゃんとしていますし、個でもクオリティの高い選手がそろっているから強い。でもスコットランド内には怪しいチームもあるんですよね」

――ハーツには約2年間在籍して今年Jリーグに復帰しました。どのような経緯がありましたか。

「それこそハーツが自分を見切った要因の一つはケガだと思います。『コイツ、ケガしかせんな』と。夏にシーズンが始まって最初はちょっと出ていましたが、そこからケガをしたときに監督が代わりました。その後にケガ明けから構想外というか、監督には『もう移籍していいぞ』と言われていました」

ハーツで負傷に苦しんだ小田(写真 Getty images)

――「移籍していいぞ」ですか…。複雑ですよね。

「Bチームではないですけど、みんなと一緒にいながらも、練習は一人だった。紅白戦にも入らずに走っていました。ケガで約2カ月間休んで、10月の終わりくらいに復帰したんですけど、試合には出られず。あれはかなりタフでしたし、しかも一人。いま思えば、キツかったですけど、それを経験できたら良かったというか、よりタフにはなれましたね」

――どのようなモチベーションで乗り越えたのですか。

「冬にはどこかへ行くと思っていたので、そのためにちゃんと練習しておこうというモチベーションでした」

(写真 浅野凜太郎)

――海外移籍も視野に入れていたのですか。

「Jリーグしか考えていなかったですね。何だかこのまま海外に行っても…とは思っていましたし、もう一回日本でやりたかった。その中で湘南が声をかけてくれました」

――神戸育ちの小田選手として抵抗はなかったですか。

「正直、そこを考える余裕はなかったです。『出て行っていい』と言われているのに、チームが決まらない1月から3月はもどかしかったです。その状況の僕をベルマーレが拾ってくれたと思っています」