パリ五輪の半年前に決まっていた不参加

大岩剛監督の下、2024年に行われたパリオリンピックに出場したU-23日本代表。

小田は同世代の常連として背番号9を背負い、2023年11月18日には強豪アルゼンチン代表との国際親善試合(5○2)にも先発出場していた。

しかし、その後突如として小田の名前は同世代のメンバー表から消え、パリ五輪の最終予選を兼ねたU23アジアカップ、本大会にも招集されなかった。

同世代のストライカーとして期待されていた男には、思わぬ壁が待っていた。

――パリオリンピックは落選という形でしたが、どのような心境でしたか。

「これは話すと難しいんですけど…、剛さんがハーツまで何回か来てくれて、ハーツとJFA(日本サッカー協会)でパリオリンピックに行けるかどうかの話をしてくれていたんです。その中でアジア予選の前に、チームの都合で行けないことになりました」

アルゼンチン代表戦に出場した小田(写真 Getty images)

――そんなやりとりがあったんですね。

「だから俺にとって最後の代表参加はアルゼンチン戦。それ以来参加していないんです」

――その判断を聞いたときに、怒りや葛藤はありませんでしたか。

「もちろん少しは『行かせてくれよ』と思いましたけど、冷静でした。オリンピックの半年くらい前には行けないと分かっていましたから、『そうか』と納得するだけでした。でもハッキリと言って、それでも(パリ五輪)に行けていたかは分からないですけどね」

(写真 浅野凜太郎)

――パリ五輪や同世代の活躍はどのように見ていましたか。

「もちろん刺激は受けていますが、逆に何も思わないようにしています。『自分は自分だ』って。あの世代はA代表に行っている人も多い。でもいずれは追い抜く。A代表は誰も目指す場所ですけど、特に同じアンダーでやってきた選手たちが入ってきているので、ひそかに闘争心を燃やしています」

――ふつふつとA代表への想いを燃やしている。

「ただ、自分はまだA代表とかを語れる立場にないと思っています。湘南で1試合、1試合やるべきことを全力でやって、結果を出していく先に代表がある。それでもいまの日本代表は入れるかどうかじゃないですか。だからあまり考えずに、毎週、毎週ピッチで全力を出そうとしています」