原発作業員との思い出
約6年間に渡って原発事故処理を担う作業員に料理を提供し続けてきた西シェフ。原発作業員との交流は、いまも大事にしている思い出だ。当時福島第一原子力発電所の所長を務めていた吉田昌郎(まさお、故人)さんも『ハーフタイム』に顔を出すことがあった。
「所長はハーフタイムに何回か顔を出してくれていて、オープンの日にも来てくれてね。アルパインローズのほうにはよく来ていたみたいね。『楽しいことやっているね』と聞いたような(笑)。所長といったら普通は厳ついというか、『あまり近づくなよ』というオーラがあるじゃないですか。(吉田さんは)そういったものが全然なくて普通のおじさんみたいな感じ。飲めば楽しい酒になってね。実際は大変な思いをしていたんだろうけど、みんなを労うというかね」と当時を振り返った。
以前西シェフを取材した際に、吉田さんとお酌を交わしたことが印象的だったと振り返っていた。ただ吉田さんは2013年7月9日に食道がんにより帰らぬ人になってしまった。「もっと長生きしてほしかったよね」とさみし気な表情で振り返った。
それでも西シェフはJヴィレッジで事故が収束するまで原発作業員に料理を振舞い続けた。
「僕らはそこの現場に行くわけじゃない。現場に行く人は本当にいつ死ぬか分からない状態で行っていたんじゃないのかな。(作業員との酒席は)楽しい思い出ですよね。そうやってみんなが楽しんでくれているからこそ、やりがいというか『やって良かった』と思えたし、いまもそう思っている。みんなね、楽しく飲んでくれた。夜だけ楽しくて、日中は大変な思いをしてね。やっぱり何かしら人間は息抜きがないとダメですよ。毎日張り詰めても1、2カ月ならいいけど、1、2年になったらおかしくなっちゃうからね」
作業員にとって大切な憩いの場を守り続けた西シェフの貢献は大きかった。浜通り地域が復興する上で西シェフの尽力は必要不可欠なものだったに違いない。日本代表専属シェフとして選手たちを支える裏で、西シェフは震災と向き合っていた。
【インタビュー】西芳照シェフと3.11。代表選手が日本代表専属シェフにかけた言葉—後編—
インタビュー後編は日本代表選手が西シェフにかけた言葉、福島に残り続ける理由を尋ねた。