作業員を支える決意

Jヴィレッジのレストランサービスを運営するエームサービスに勤めていた西シェフは、ともに働いていたスタッフたちと東京へ避難した。和食をベースとした食堂の料理のメニュー開発に携わった。

当時Jヴィレッジは国へ移管され、陸上自衛隊の装備の除染や、原発事故に対応する自衛隊、警察官、消防官の現地調整、東京電力の原発事故処理を担う作業員の原発事故対応拠点としての役割を担っていた。震災から翌月になって、西シェフや調理スタッフたちは避難時に回収できなかった調理器具や日用品の回収や調理場の片づけのためJヴィレッジに戻った。

Jヴィレッジ内で飲食をする作業員(Getty Images)

そのときに見た光景が西シェフの胸に突き刺さるものがあった。「(原発)作業員の人たちは寒い中で、コンクリートの上や施設内の踊り場で段ボールを敷いて横になっていました。施設の中の食べものも缶詰しかありませんでした。行くたびに同じ状況で、全然変わっていなかった。東電(東京電力)の人たちと話して『ここでちょっと料理を作ろうか』ということになりましたね。向こうから『作ってもらえますか』とお願いもされた感じですかね」

2011年7月に勤め先を退職し、翌月には保健所からJヴィレッジ内のカフェテリア『ハーフタイム』を開業する許可を取った。「始めたときは暑い夏だったなぁ」と当時を振り返る西シェフは感慨深い表情を浮かべた。危険な状況にあった原子力発電所で働く作業員を支えるために、西シェフは覚悟を決めて再び調理場に立った。

事故が発生した福島原子力発電所(Getty Images)

同年11月に株式会社DREAM24を立ち上げ、広野町二ツ沼総合公園内に所在する「ふるさと広野館」を借りてレストラン『アルパインローズ』を開業し、原発作業員に料理を提供した。当時は原発事故による風評被害がテレビや新聞などで報道されていたが、西シェフに恐怖や葛藤などはなかった。

「僕は(恐怖や葛藤などが)なかったですね。おいしい料理、温かい料理を出すことによって作業員の皆さんが元気を出して早く片付けてほしいと思っていました。皆さんは食べるものもなくて、カップ麺くらいだったから」と地元福島のために戦う作業員を献身的に支え続けた。