壮絶なはずのリハビリがキツくなかった理由
「あれは何だったんだろうな。マジで」と試合開始5分でのアクシデントだった。
右サイドのワイドで先発出場した佐久間は、FC東京の日本代表DF長友佑都とマッチアップ。相手の背番号5から力強くボールを奪おうとした矢先だった。
「気がついたらひざが…。芝に引っかかって、いままでになったことのない感覚でした。痛みはありませんでしたが、ひざをひねりました。スタメンで出るチャンスが来たので、なんとかして目に見える結果を出したかった中で、力が入っていたと思います」とフクダ電子アリーナのピッチにうずくまり、前半8分に途中交代を余技なくされた。
後日、千葉からリリースされた診断結果は左ひざ前十字じん帯損傷、左ひざ内側側副じん帯損傷、左ひざ内側半月板損傷の大ケガだった。
昨年7月22日に手術をしてからボールを蹴れるようになるまで約4カ月、そこから試合に出場できるようなコンディションまで再び4カ月を要する長期離脱。この日をもって、生え抜きの3年目は終わった。
同じような経験をした選手の多くが、リハビリの過酷さを訴える受傷だ。左ひざはギプスで固定され、曲げ伸ばしも容易ではない。選手生命を脅かすほどの大ケガに見舞われた佐久間だったが、意外な言葉とともにリハビリ期間を振り返った。
「リハビリはまったくキツくなかったんですよ」
同時期のリハビリ組には主将のDF鈴木大輔、クラブの象徴であるチーム最年長DF米倉恒貴、アカデミーの先輩であるDF久保庭良太らがいた。
当時21歳の佐久間にとって、同選手らの存在が活力になった。
「大輔さんはリハビリを120パーセントでやっていたし、毎日言葉をかけてくれました。そのおかげで自分も高い強度でリハビリができましたし、大輔さんに感化されて、自分も120パーセントでできました。ヨネさん(米倉)やクボニー(久保庭)も励ましてくれて、支えになりました。先を見すぎたり、焦ったりしたら良くないと思っていたので、毎日できることを増やしていく感じでした」と、本来ならば暗く険しいリハビリを年長者たちが明るく照らした。
同選手らとスタッフに支えられた佐久間は、順調に回復の道を歩んでいたが、契約満了はその最中に告げられた。