葛藤を覚えた退団決定後の練習参加
昨季終了後、佐久間は契約満了と同時に告げられた言葉に思わず眉をひそめた。負傷からのリハビリに励んでいた同選手に対して、クラブは完治するまでトップチームへの練習参加を言い渡したからだ。
「みんなに驚かれました。『そんなことある?』って。 もちろん練習場所があることは良かったですが、契約満了になった自分はメンバーではないのにチームに関わり続けなければいけなかった。そこに複雑な気持ちを感じて、最初はすごく嫌でしたし、ここからがキツかった」
本格的な復帰は今年の3月ごろ。それまではチーム練習に混ざりつつも、同年1月に実施された沖縄キャンプには帯同せず、拠点のユナイテッドパークに残った。
また、手術によってトップフォームに戻らないもどかしさもあった。新天地を求めていた佐久間は各クラブの練習にも参加していたが、ケガの影響が響いた。
「練習試合もジェフで出させてもらって、そこからJ3の2チームとJFLのチームの練習にも参加しました。でも復帰したばかりでしたし、次の練習参加まで2週間くらい空いてしまうこともあったので、すぐにコンディションが落ちてしまうんです。再発の怖さはもちろん、ハム(ハムストリング)の痛みや(チームが)決まるかどうかの不安もあって厳しかったです」と苦しい時期を過ごした。
ハムストリングから筋肉を移植した影響でなかなか本来のキレを取り戻せず。「いまでも足が遅くなった気がする」と話すほど、快速自慢の佐久間にとっては致命的な負傷だった。
それでも5月31日、かつて千葉がホームスタジアムとして数々の熱戦を繰り広げたゼットエーオリプリスタジアム(市原臨海競技場)のグラウンドに佐久間は立っていた。
市原市を拠点に、関東1部からJFL参入を目指すV市原の選手としてだ。
生え抜きは「ジェフには感謝しかない」と逆境を乗り越えていた。